安丸良夫『出口なお』朝日新聞社、1987年

出口なおは、民衆の漠然とした世直しへの期待を、
厳しい終末観的救済思想へと発展させた大本教の開祖です。

大本教の主神は、民俗学的には祟り神として嫌われる艮の金神ですが、
なおの神学によれば、本当はこの世界の根本神であり善神である艮の金神を、
三千年前に艮の隅に押し込めて悪神どもの支配する世としたのがこの世界であり、
そのゆえにこの世界では善悪が転倒しているとされます。

しかしながら、悪神の支配が極まった現在、艮の金神が再び登場して、
「此の世のエンマ」としてあらゆる悪に厳しい審判を下し、
善神=根本神としての艮の金神が再びこの世界を支配するのです(「立て替え立直し」)。

一般的にいって、民衆は現実の社会関係において支配されているだけでなく、
この世界を秩序づけている価値や意味においても支配されています。
筆者によれば、民衆とは自己と世界の全体性を
独自に意味づける権能を阻まれている人たちのことであり、
神がかりとは、こうした人たちが神という現存の秩序をこえる権威を構築することによって、
自己と世界との独自の意味づけを拓く特殊な様式のことだといいます。

なおたちのような、民衆宗教の開祖たちの生活規範は、
勤勉・倹約・孝行・正直・謙譲などの「通俗道徳」型のものであり、
もし彼らをとりかこむ諸条件が順調ならば、「家」の繁栄と永続をもたらし、
既存の秩序を基底部から支える実践的行動規範として有効に機能したはずです。

しかし、このような個人的努力がどれだけ実践されても、
没落してゆく近代社会成立期において、
人々は世界の全体を問わざるを得ない立場に追い込まれ、
いわば幻想の側から現実をのりこえようとしたのでした。

なおの内面的世界は、一見すればなおの生活思想を通して
既存秩序へ統合されているように見えながら、
なおが必死に努力すればするほど、
実は亀裂と疎外の中で深く傷ついていたのであって、
やがて無意識下の抑圧が自己と世界を問い直しはじめるのです。
(ryoga)

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