Singing Of Myself 〜この身の自由をうたう

◇大阪医大ジェンダークリニックで起こった術後壊死について広く知らせ、問題提起します。

いい詩とかいい言葉とか歌とか

釘抜地蔵と朔太郎の詩

◇こんにちは。事務局の鈴木です。
 シルバーウィークなるものも終わりました。この連休、皆さん、どのように過ごされたでしょうか?
 私はというと、大学院生の特権か、SWどころかまだ夏休みなので、それ程有難みもなく過ごしました。
 とはいえ、論文も書かず、ただ無為に過ごすのはもったいない、ということで、原告・ヨシノを誘って「釘抜地蔵」(正式名称・石像寺)へお参りに行って参りました。

 釘抜き→くぎぬき→くぬき→苦抜き

ということで、長く苦しい裁判闘争ですが、一刻も早く「勝利」をし、ヨシノの「苦」を抜こう、という意図
 支援事務局員としての、この心遣い! 自分で自分を褒めてあげたい!
 とはいえ、ここで満足してしまったのが運の尽き。残念ながら釘抜地蔵さんに着いた直後に、閉門の時間に……。
 とりあえず、お参りだけささっとしたのですが……ヨシノさん、すいません、完全に調査不足でした。
 気を取り直して、今度は「千本閻魔堂」に行き、地獄の裁判長・閻魔様に勝利を祈願しよう、と足を向けたのですが。
 まぁ……閉まってましたね。閻魔堂。
 ただ、時間外の参拝者用に小さな窓が開いていたので、そこから閻魔様を拝見。いつ見ても迫力のある御姿です。早速、勝利を願い御参り。
 もっとも、ヨシノは
 「困った時の神頼み、というか仏頼みはしない!」
ということで、勝利祈願ではなく、勝利が前提の上での色々と御参りしたようです笑顔

 
 とまぁ、こんな一日もありましたが、全体的には結局私は無為に過ごしてしまいました。反省しきりです。


◇連休といえば、旅。旅といえば、連休。
 私も旅(正確には調査旅行)に行ってみたいなぁ、などと思うのですが……
 なかなかどうして、上手くういかないのが現実です。



      ふらんすへ行きたしと思へども
     ふらんすはあまりに遠し
     せめては新しき背廣をきて
     きままなる旅にいでてみん。
     汽車が山道をゆくとき
     みづいろの窓によりかかりて
     われひとりうれしきことをおもはむ
     五月の朝のしののめ
     うら若草のもえいづる心まかせに。


                           ――萩原朔太郎 「旅情」 (『純情小曲集』より)


 教科書にも出てくる萩原朔太郎は、故郷が生んだ偉大な詩人。
 とはいえ、私自身は余り彼の詩でピンとくるものもなく、また彼の生き方にもそれ程共感できずにいたのですが、この詩だけは、何とはなしに心に来るものがあります。


◇ただ、旅に出る前に、京都でやるべきことがあるのも事実。
 早いもので、2回目の証人尋問まで、あと4日です
 前回は被告側の医師(執刀医・担当医・精神科担当医・壊死宣告時の医師など)ですが、次回の証人尋問は被告側医師(主治医)ヨシノ本人、並びに術後のヨシノの様子を見ていた友人たちの計4名。
 今度もヨシノにとっては、思い出したくもない過去と正面切って向き合わねばならない、辛い尋問になるかと思います。
 皆さん、ぜひ、傍聴に来て頂き、ヨシノを励まして下さい!
 応援、よろしくお願いします!!


9月28日(月) 10時30分~12時/13時30分~16時 京都地裁208号
          ヨシノさんをはじめとした原告側の証人尋問
10月7日(水) 13時30分~ 京都地裁208号
         過失を裏付ける鑑定書を書いて下さった医師の証人尋問



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祝婚歌

 原告と長い付き合いで、支援者とも知り合いの多い大学時代の友人が、昨日入籍したそうです。
 そこでいい詩を載せておきます。


「祝婚歌」   
吉野 弘

ふたりが睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気づいてるほうがいい

完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだとうそぶいているほうがいい
ふたりのうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい

互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい

正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと気づいているほうがいい

立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には色目を使わず

ゆったり
ゆたかに
光を浴びているほうがいい

健康で風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい

そして
なぜ胸が熱くなるのか
黙っていても
ふたりにはわかるものであってほしい
 



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叫べ 叫べ

 心から叫ぶ、という深い精神的な義務に、全力を尽くさなければならない。
 ――おそらく、遠回しに、そして穏やかに。不本意な涙と共に。おそらく、すさまじい火や荒れ狂う知恵と共に。おそらく、慎重な注意深い分析と共に。おそらく、確立された一般的な例を使って。
 ――しかしそれは常に根源的でなければならず、必ず要求と義務を伝えなければならない。ああ、そうすることをためらうならば、あなたは自分自身の根源を裏切っている。

 「見る」ことを許された者は、同時に、不確実ではない言葉で、そのビジョンを伝える義務を負わされる。これは本当に大変な重荷、ものすごい重荷である。あなたのビジョンに情熱をそそぎ込み、はっきりと話すことだけが、なんとかして、気の進まない世界に最終的に真実を浸透させることになりうるということだ。

 自分の心に見いだすことができる情熱や勇気と共に、あなたの真実を声高く話すことがあなたの義務なのだ。あなたにできるどのようなやり方でもかまわないので、あなたは叫ばなければならない。
 あなたは、自分自身の根源的な実現を認めてもらうために、耳を貸さない世界に対して「穏やかにささやく」ことを考えたことはないだろうか? だめだ。友よ。それではだめだ。あなたは叫ばなければならない。あなたが見たことを心から、あなたにできるあらゆる方法で叫ばなければならない。

~ケン・ウィルバー『ワン・テイスト』


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 原告はいつだって、喉から血が出るまで叫ぶんですよ。(『セロ弾きのゴーシュ』)

 本日は非公開の「第1回和解期日」。双方の条件を出し合い、和解するかどうか一旦話し合う日です。もし大阪医大側が、数十万程度で和解しようとしてきたなら、それは「説明義務違反程度で片がつく裁判だろう」とタカをくくっているということ。そうであれば支援者たち皆にショックを与えますね。
 だけど多分、原告は、きっと、それでも。


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旧い友人が新たに大臣になつたといふ知らせを読みながら

「旧い友人が新たに大臣になつたといふ知らせを読みながら」
           
                                          河上肇

  私は牢の中で

  便器に腰かけて

  麦飯を食ふ。

  別にひとを羨むでもなく

  また自分をかなしむでもなしに。

  勿論こゝからは

  一日も早く出たいが、

  しかし私の生涯は

  外にゐる旧友の誰のとも

  取り替へたいとは思はない。




◆人生に分岐点は無数にある。
 やっぱり彼と同じメニューにしとけばよかった、向こうの方が美味しそう。というものから、
 あの「お別れ」のときに、父ではなく母の方についていっていたら。
 最初に痛みが出た時に、病院に行って検査していたら。
 やっぱり向こうの学校に行っていたら。
 あのとき躊躇わずに、売りに出しておけば。
 意地を張らずにプロポーズを受けておけば。 

 もしも良い加減で妥協していたら。或いはしていなかったら。
 あのとき見切りをつけておけば。或いはもう少し続けていたら。
 
 戻れない選択があります。しかし取り返せないわけではない。
 ひと1人の力ではどうにもならないことがあります。しかし自分というものはまだここで確かに生きている。
 
 そのとき、そのときで、己が正しいと思った選択が重なって、人生をつくっています。それが想像だにせぬ結果を招いたとき、「この全てが夢だったら」「目が覚めてあの日に戻っていたら」と、思わぬと言ったら嘘になる。
 しかしひたすら、目の前の「現実」を、いま己が置かれている状況を、過酷なまでに直視し続けることでしか進めない道もあります。

 「それでも、それでもこの人生は私のものだ」
 「天国旅行の切符とだって、取り替えてなどやるものか」




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奴隷根性の唄

「答辞に代へて 奴隷根性の唄」   
                        金子光晴

 奴隷というものには、ちょいと気のしれない心理がある。
 じぶんはたえず空腹でいて、主人の豪華な献立のじまんをする。

 奴隷たちの子孫は代々、背骨がまがってうまれてくる。
 やつらはいう、
 「四つ足で生まれてもしかたがなかった」と。

 というのも、やつらの祖先と神さまの約束ごとを信じこんでいるからだ。
 主人は、神さまの後裔で、
 奴隷は、狩犬の子や孫なのだ。

 だから鎖につながれていても、靴で蹴られても当然なのだ。
 口笛をきけば、ころころし、鞭の風には、目をつむって待つ。

 どんな性悪でも、飲んべえでも
 陰口たたくわるものでも
 はらの底では、主人がこはい。
 土下座した根性は立ちあがれぬ。

 くさった根につく
 白い蛆。
 倒れるばかりの
 大木のしたで。

 いまや森のなかを雷鳴が走り、いなずまが沼地をあかるくするとき、
 「鎖を切るんだ。自由になるんだ」と叫んでも、
 やつらは、浮かない顔でためらって
 「御主人様のそばをはなれてあすからどうして生きてゆくべ。
  第一、申訳のねえこんだ」という。




◇表題の「答辞に代えて」というのは、戦後、自らの評価がガラリと変わり「反戦詩人」と褒めそやされるようになった状況に応えてか、と言われる。
 「権威」というもの。それに対する自分の在り方、距離のとり方。 
 「奴隷」にとっての自由の範囲は、枷の重さか、鎖の長さか。
 
 ままならない状況に追い込まれ、囲い込まれ、「奴隷」となったとき。
 それでも決して「土下座しない根性」が、状況を変える。いつか、必ず。



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