Singing Of Myself 〜この身の自由をうたう

◇大阪医大ジェンダークリニックで起こった術後壊死について広く知らせ、問題提起します。

書評と紹介

まなざしの地獄

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「貧困とはたんに生活の物質的な水準の問題ではない。それはそれぞれの具体的な社会の中で、人びとの誇りを挫き未来を解体し、『考える精神』を奪い、生活のスタイルのすみずみを『貧乏くさく』刻印し、人と人との関係を解体し去り、感情を枯渇せしめて、人の存在そのものを一つの欠如として指定する、そのようなある情況の総体である」(p.52)

見田宗介『まなざしの地獄』(河出書房新社、2008年)
知り合いの先生から薦められて、読んでみましたが、
非常にインパクトのある一冊でした。

60年代末の連続射殺事件を手がかりに
都市の他者たちからそそがれるまなざしの地獄から逃走しようとする
当時の青少年たちの切実なる欲望を読み取っています。
60年代のN・Nにとっては、まなざしが地獄でしたが、
00年代の秋葉原事件のKにとっては、まなざしの不在が地獄でした。

にも関わらず、「階級の実存構造」ともいえる
貧困を生きる人間にとっての主観的意味を
繊細に明らかにするその分析視角は、現代の貧困をとらえる上で
大きな手がかりとなるでしょう。

未読の方は、是非手にとってみてください。
(ryoga)

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社会

 発売当初から割と気になっていた、市野川容孝『社会』(岩波書店、2006年)を読みました。政治的な言葉としての「社会」が、なぜ1990年代以降、急速に衰滅しつつあるのか、という課題意識は、とても興味深く感じました。

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 「社会的」という言葉は、常に二重の意味をもっており、それは平等へと向かう実践であるとと同時に、その出発点ともなる不平等、しかも自然がではなく、人間自身が生み出す不平等の確認を私たちに迫るものだと、著者は述べます。1910年代に「社会」という言葉は、公的に承認され制度化されていくのですが、1940年にそれは一度、消滅しています。「社会政策」というのは「階級間の対立、抗争」を緩和するものだが、今や「階級対立の歴史観などは最も非国民的なもの」とされつつあり、「今必要なものは、民族的結束であり、階級の調和は、既に前提として全体社会と対立する階級集団に分割する論理を基礎としてゐるものであるから、現時の時局にふさはしいものではない」という理由からです。当時、当然「社会省」となるはずであった新省が、「厚生省」と命名されたのは、そういう背景があったのです。

 「社会の喪失」が指摘され、「強い市民社会」の構築が切実な課題として、急速に浮上しつつある現在、「社会」とか何かという問いに、正面から向き合ってみる必要を改めて感じました。(ryoga)

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不安な経済/漂流する個人

 最近、社会の個人化という問題に関心をもっていて、リチャード・セネット『不安な経済/漂流する個人』(大月書店、2008年)を読んでみました。

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 セネットは、ウェーバーが想定した、近代の官僚的な「鉄の檻」から解放されることによって、帰属心、インフォーマルな相互信頼、組織に関する蓄積された知識という、3つの社会的損失があったと述べています。

 セネットは、直接的には職場の変容を問題としていますが、対抗運動の側においても同様のことがいえるでしょう。ネグリやドゥルーズは、その変化を承認して、マルチチュードやノマドといった、流動的なネットワークの重要性を説いており、私も基本的にはそれに似た現実感覚を共有しています。しかしながら「鉄の檻」のような堅固な集団を、ある程度は受容してきた自身の経験からいえば、セネットと同様、どうしてもそこで措定される人間像に違和感を持ってしまうのです。

 流動性の激しい今日の社会に、必要とされる人間像とは、他人に依存せずかつ社交的な人間です。そしてやはり今日の私たちの常識からしても、そのような人間は評価されています。しかしよく考えて見ると、他人に依存しないというのは、他人に関心をもたず執着しないということであり、他人は自己の目的を達成するためにのみ存在する代替可能な存在にすぎません。

 他人に関心がないのに社交的だというのは、いくら流動性の激しい社会であっても、社会は人間の集合体である事実には変わりないからで、社会的地位を向上させるには、独力で社会的ネットワークを構築していかなければならないからです。信頼に足る堅固な集団を失った私たちは、他人に依存せずに柔軟な集団を生きざるをえず、そこでは「人間関係の技術」が求められ、「協調性」が育成されることになるのです。

 しかしここで求められる「協調性」とは、あくまで柔軟な集団を生きるための自己本位のスキルなのであって、真の意味で人間の共同的社会性を育む力ではないと思います。セネットが「あらゆる社会関係は発達に時間を要する。個人と他者の相互関連からなる人生という物語を語るには、少なくとも人の一生の長さはつづく組織が不可欠となる」(p.40)と述べるように、人間同士の信頼や連帯は「協調性」が問われないような集団で育まれます。さらに、圧倒的多数の人々は、他人に依存せずには生きられない「弱い人間」なのであり、むしろ問題は、依存するに足る堅固な集団を、失ってしまったことにあるのではないかと思います。

 また構成員の入れ替えが激しい柔軟な集団では、「協調性」とともに、自身を差異化するための「能力」が日常的に問われることとなります。湯浅誠氏や河添誠氏が、「能力」という言葉に大きな抵抗を感じられたように(『「生きづらさ」の臨界』)、この能力主義は、新自由主義を支える自己責任論と親和的でもあるのです。

 現実に現代社会を生きざるをえない私たちからすれば、そうはいっても「協調性」や「能力」をつけていかざるをえません。そして失われつつある「鉄の檻」を復興させることは、容易ではないし、もしかしたら不可能な試みかもしれません。しかし少なくとも、「鉄の檻」からの解放を、単純な「進歩」ととらえるだけでは不十分であることは間違いなく、克服すべき新たな課題を見逃さないためにも、その歴史的位相を問うことはいま必要な作業だと思うのです。(ryoga)


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出口なお

安丸良夫『出口なお』朝日新聞社、1987年

出口なおは、民衆の漠然とした世直しへの期待を、
厳しい終末観的救済思想へと発展させた大本教の開祖です。

大本教の主神は、民俗学的には祟り神として嫌われる艮の金神ですが、
なおの神学によれば、本当はこの世界の根本神であり善神である艮の金神を、
三千年前に艮の隅に押し込めて悪神どもの支配する世としたのがこの世界であり、
そのゆえにこの世界では善悪が転倒しているとされます。

しかしながら、悪神の支配が極まった現在、艮の金神が再び登場して、
「此の世のエンマ」としてあらゆる悪に厳しい審判を下し、
善神=根本神としての艮の金神が再びこの世界を支配するのです(「立て替え立直し」)。

一般的にいって、民衆は現実の社会関係において支配されているだけでなく、
この世界を秩序づけている価値や意味においても支配されています。
筆者によれば、民衆とは自己と世界の全体性を
独自に意味づける権能を阻まれている人たちのことであり、
神がかりとは、こうした人たちが神という現存の秩序をこえる権威を構築することによって、
自己と世界との独自の意味づけを拓く特殊な様式のことだといいます。

なおたちのような、民衆宗教の開祖たちの生活規範は、
勤勉・倹約・孝行・正直・謙譲などの「通俗道徳」型のものであり、
もし彼らをとりかこむ諸条件が順調ならば、「家」の繁栄と永続をもたらし、
既存の秩序を基底部から支える実践的行動規範として有効に機能したはずです。

しかし、このような個人的努力がどれだけ実践されても、
没落してゆく近代社会成立期において、
人々は世界の全体を問わざるを得ない立場に追い込まれ、
いわば幻想の側から現実をのりこえようとしたのでした。

なおの内面的世界は、一見すればなおの生活思想を通して
既存秩序へ統合されているように見えながら、
なおが必死に努力すればするほど、
実は亀裂と疎外の中で深く傷ついていたのであって、
やがて無意識下の抑圧が自己と世界を問い直しはじめるのです。
(ryoga)

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白樺たちの大正

関川夏央『白樺たちの大正』(文藝春秋、2005年)

明治41年、東京朝日新聞に連載した小説『三四郎』で、
漱石は広田萇先生にこういわせます。
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「近頃の青年は我々時代の青年と違って自我の意思が強すぎて不可ない。我々の書生をしている頃には、する事為す事一として他を離れたことはなかった。凡てが、君とか、親とか、国とか、社会とか、みんな他本位であった。それを一口にいうと教育を受けるものが悉く偽善家であった。その偽善が社会の変化で、とうとう張り通せなくなった結果、漸々自己本位を思想行為の上に輸入すると、今度は我意識が非常に発達し過ぎて仕舞った。昔しの偽善家に対して、今は露悪家ばかりの状態にある」

志賀直哉にしろ武者小路実篤にしろ、自我を圧殺するもの、
彼らの『わがまま』を抑圧する装置を徹底して嫌悪し憎悪しました。
それこそが大正と言う時代の精神形成をにない、
同時に大正という大衆化の時代の影響を受けざるを得なかった
「明治15年以後生まれの青年」のセンスであった、と著者は述べています。

その一方で、彼らはみな「コミューン」について考えました。
ある者は夢想的であり、ある者は皮肉でした。
コミューンの建設と維持が現実にそぐわないと見とおす者は少なくありませんでしたが、
最初からばかにした者はいませんでした。

日露戦争の熱狂と、その反動としての日比谷騒擾を体験した人々は、
ようやく国家と区別された、「社会的なるもの」を自覚するようになります。

大正7年、武者小路実篤はこう述べます。

「僕達は現社会の渦中から飛び出して、現社会の不合理な歪なりに出来上った秩序からぬけ出て、新らしい合理的な秩序のもとに生活をしなおして見たいと云う気もするのだ。つまり自分達は今の資本家にもなりたくなく、今の労働者にもなりたくなく、今の社会の食客的生活もしたくない。そう云ふ生活よりももっと人間らしい生活と信じる生活を出来るだけやりたいと思うのだ」(新しき村の小問答」『新しき村』大正7年7月号)

新しい時代と格闘した、短い激しい大正期の精神が、
本書には生き生きと描かれています。(ryoga)

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