関川夏央『白樺たちの大正』(文藝春秋、2005年)

明治41年、東京朝日新聞に連載した小説『三四郎』で、
漱石は広田萇先生にこういわせます。
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「近頃の青年は我々時代の青年と違って自我の意思が強すぎて不可ない。我々の書生をしている頃には、する事為す事一として他を離れたことはなかった。凡てが、君とか、親とか、国とか、社会とか、みんな他本位であった。それを一口にいうと教育を受けるものが悉く偽善家であった。その偽善が社会の変化で、とうとう張り通せなくなった結果、漸々自己本位を思想行為の上に輸入すると、今度は我意識が非常に発達し過ぎて仕舞った。昔しの偽善家に対して、今は露悪家ばかりの状態にある」

志賀直哉にしろ武者小路実篤にしろ、自我を圧殺するもの、
彼らの『わがまま』を抑圧する装置を徹底して嫌悪し憎悪しました。
それこそが大正と言う時代の精神形成をにない、
同時に大正という大衆化の時代の影響を受けざるを得なかった
「明治15年以後生まれの青年」のセンスであった、と著者は述べています。

その一方で、彼らはみな「コミューン」について考えました。
ある者は夢想的であり、ある者は皮肉でした。
コミューンの建設と維持が現実にそぐわないと見とおす者は少なくありませんでしたが、
最初からばかにした者はいませんでした。

日露戦争の熱狂と、その反動としての日比谷騒擾を体験した人々は、
ようやく国家と区別された、「社会的なるもの」を自覚するようになります。

大正7年、武者小路実篤はこう述べます。

「僕達は現社会の渦中から飛び出して、現社会の不合理な歪なりに出来上った秩序からぬけ出て、新らしい合理的な秩序のもとに生活をしなおして見たいと云う気もするのだ。つまり自分達は今の資本家にもなりたくなく、今の労働者にもなりたくなく、今の社会の食客的生活もしたくない。そう云ふ生活よりももっと人間らしい生活と信じる生活を出来るだけやりたいと思うのだ」(新しき村の小問答」『新しき村』大正7年7月号)

新しい時代と格闘した、短い激しい大正期の精神が、
本書には生き生きと描かれています。(ryoga)

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